[第21号:2018-8-26]

本号の主な内容

 

 

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    増田章の空手レッスン。

 

 

編集後記  第21号

 

私は、雪国の生まれのせいか、夏より冬が好きだった。 だが数年ほど前から、冬場はすぐに風邪をひく。おそらく、湿度やウィルスが原因だと思う。また、寒いと筋肉を痛めることが多かった。

一方、日本の夏場は湿度が高く不快だが、風邪をひくことや筋肉を痛めることが少ないように思う。 ゆえに、今年は、「夏場の方が良いかも」と思っていた。ところが、後半は夏場の疲れが出てきているようだ。

私の課題は、持久力の維持と血流を良くすることである。そのためには、軽く走ったりすることが良いと思っている。しかし、膝と腰が悪いので、それができない。自転車などが代用できると思うのだが、私は考え事が多いので、二輪や四輪の運転は極力避けたほうが良いと思っている。

今私が、どうしてもやり遂げたいことは、極真空手の原点に戻り、武術としての稽古体系を確立することである。さらに極真空手の組手法や競技などの試し合いを、人間教育のより良い手段とすることである。それによって、極真空手が空手として、より高次化する。 言い換えれば、それが武道空手としての完成である。

私は、柔道の創始者である、嘉納治五郎師範が構想したことも、私が構想していることと同一だと思っている。つまり、嘉納治五郎師範は、武術としての柔術を裏面に、表面を柔道という人間教育として、新武道を創設した。そしてその後、柔道は優れた柔道家の尽力で「日本武道」として発展した。そのように言えば、多くの柔道関係者や先輩たちに、生意気だとお叱りを受けるかもしれない。無論、私には嘉納師範のような人格も能力もない。また人徳もないだろう。しかし、私の構想は柔道が手本なのだ。そしてその構想を具現化していけば、極真空手も柔道のようになると確信している。ただし、そのためには、極真空手の認識を根本から転換するぐらいの覚悟がいるが…。その認識の転換のキーは、武道としてのアイデンティテーの確立である。

補足を加えれば 私の考える武道の裏の面は、活殺自在、心技一体の武の境地を学ぶこと。表の面は、格闘技を通じ、ひとり一人の自尊心を育み、人間の尊厳への自覚を促すことである。さらに言えば、その表裏を生かして行くことこそが、武道における人間教育なのだ。その上で、武道を行う者のみならず、武道を応援する仲間を増やし、武道を平和実現の一助とすることが武道人の役割である。

私の構想には、多くの時間、資金、労力がかかる。また、私一代では完成しないかもしれない。しかし、それは当然だ。大山倍達先生が創設した極真空手、極真会館も一代では完成しなかった。ゆえに、私たちの世代が、より質の高い極真空手を、次の世代へ残すために尽力しなければならないのだ。極真会館の松井館長と和解し、私は決意した。身体が動く限り、その構想の実現に向けて、命懸けで挑んで行く。もし、私の「志」に共感する人がいるなら、私に協力してほしい。

 

 

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