空手道理論/「崩しと隙」と「防御と応じ」

 

【「崩しと隙」と「防御と応じ」 〜2016−6−11の手書きメモより/再考を要す】

 相手にダメージを与える。消耗させる。バランスを奪う。それらは全て崩しの目的と効果である。つまり「崩し」は攻撃により、相手を弱体化することである。相手を負かすには、相手の「隙」を衝かなければならない。また。相手を弱体化し、「隙」を作りだし、そこを衝く。

 「隙」を見極めるには、相手の状態や情況を見極めることを意識することだ。「隙を衝く」とは、戦いの法則である。しかし、本来の戦いの原則とは、天地自然の理法を基に導き出した、行為選択の判断基準である。私は、攻撃の決定の際には原則を優先されなければならないと考えている。その原則を踏まえれば、攻撃の前段階において、防御を優先させることだ。

 ただし、戦いにおいては機先を制することが重要だ。だが、そのことを「先手必勝」のことだと思い込んではいけない。彼の攻撃に対する「防御」の意識を我が有しながらも、その彼我の意識を超越するかのような一手を繰り出す。それが機先を制するということである。言い換えれば、無心の一手である。だが、言葉にするのは容易いが、それを掴むことは困難である。また、無心の一手と出鱈目な一手は、次元を異とするものだ。

 もし戦いにおいて「防御」に重きをおかないならば、エネルギーを無駄にし、必要なときにエネルギーを使えない。つまり、エネルギーの暴走を予測し、それを大切に使う者は、決して出鱈目な攻撃を常としないのだ。そして、その結果、自己のエネルギーをより善く用いることができ、かつ、新たなエネルギーを生み出すことができる。

 武人とは、エネルギーの無駄をしない者だ。また、無尽蔵のエネルギーを有するものでなければならない。必要なときに必要なエネルギーを用いる。ゆえに防御を常にし、隙を作らないことを志す。また、相手の攻撃には「瞬息」の「応じ(対応技)」を行うこと。そのことは、相手の二の攻撃を封じ、無駄なエネルギーの消費を防ぐ。すべからく武人は、この「応じの理法」を体得すべきである。

 最後に、競技(試合)では、うわべの「勝ち」を競う。また、見るものはその高いレベルを判断できない。ゆえに「崩し」を優先する。だが、それは道を修めるあり方では無い。武人は、常に彼我の間に生じる隙に気付くこと。その上で自己の隙を衝かれないようにする必要がある(メモゆえ再考を要す)。

 

 

備考

2019-12-2:一部修正